京津線

御陵−京阪山科−四宮−追分−大谷−上栄町−浜大津


御陵


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撮影時刻 2009/08/22 17:22:02


御陵は地下駅で、京都市営地下鉄の管理駅である。
2番出入り口の横には「琵琶湖疏水煉瓦工場跡」の碑がある。

「鏡山・天智天皇陵を背景に、疏水建設に必要な煉瓦製造工場が御陵原西町一帯に設けられた。
 当時わが国には、この大工事を賄う煉瓦製造能力がなく、京都府は自給の方針を立て、
 原料の採取と製品の運搬に適したこの地を選定、若き技師菊田宗太郎を起用し、
 明治19年7月操業開始、明治22年10月に閉鎖されるまで、1370万個を製造した。
 京都再生への命運をかけた琵琶湖疏水建設が、
 日本の近代土木・工業技術等の発展の魁となった足跡を語る遺跡である。

 煉瓦工場概要
  敷地13.471坪 工場10棟・窯場3棟 窯12ヶ所・煙突8基」


京阪山科


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撮影時刻 2007/07/07 09:34:10


四宮


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撮影時刻 2007/07/07 09:38:49


四宮駅には車両基地である、
四宮基地が併設されている。
御陵方面から入線できるようになっている。


追分


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撮影時刻 2007/07/07 09:56:25


  追分駅は相対式2面2線で、反対側には地下道を通っていく。

ホームには“大津絵”が飾られている。
画像は「鬼の寒念仏」と「藤娘」で、
大津絵には以下のような解説が書かれている。

   大津絵の由来

大津絵は寛永年間(1624〜43)頃より書き始められ、現在に至っています。
芭蕉の有名な句に「大津絵の筆のはじめは何仏」とありますが、
これは大津絵師の書き始めは何の仏かという意味で、
初期は大衆の信仰の対象として数多くの神仏が描かれました。
当時幕府はキリシタンを弾圧していましたので、
庶民にとっては仏画が一種の免罪符的な役割を果たしたとも言われています。
時代とともに世の中が安定してくると、風俗や風刺画も描かれるようになり、
その画題は数百十種を数えます。
宝永5年(1708)近松門左衛門が大津絵師を主人公にした浄瑠璃
「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」が上演され、
大津絵は全国的に広がりを見せました。
また、現在も根強い人気を持つ「鬼の寒念仏」や「藤娘」なども登場し、
絵そのものも何時の頃からか地名をとって「大津絵」と称されるようになりました。
一時交通形態の変化により衰微しましたが、
現在では日本の代表的な民画としてその技法が継承されています。

【藤娘】
四百年、年を経ぬままの藤娘。大津絵、美人画の代表であり、
今日も人気を保ったまま衰えない。良縁の符としても有名である。
「見る人も心にかけよ藤の花長きもあれば短きもあり」

【鬼の寒念仏】
慈悲深い僧衣をまとっているが、その姿とは裏腹に、
中身は鬼であることを風刺している。
角は人の我で、それを折ることを教えている。
「慈悲もなく情けもなくて念仏をとなふる人の姿とやせむ」
 


大谷


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撮影時刻 2007/07/07 10:15:25


上栄町


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撮影時刻 2007/07/07 10:36:05


上栄町から浜大津間は、
併用軌道になっている。

上栄町から斜めに合流し、
国道161号を浜大津まで行く。
右に90度カーブして、
石山坂本線と合流して、
浜大津駅に入る。
国道側から上栄町に入るシーンと、
上栄町のホームから見た800系。


浜大津


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撮影時刻 2007/07/07 13:48:50




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