富山ライトレール 電停個性化スペース

富山ライトレールは全て新しく電停を設置したため、
電停のデザインが統一されている。
電停プラットホームには右から、
広告スペース、案内スペース、個性化スペースとなっている。
案内スペースには電停名、時刻表、周辺地図がある。
個性化スペースには「地域の景観、歴史を掲示」しているスペースである。



富山駅北

  おわら風の盆

 神通川の支流、井田川のほとりに広がる八尾地帯はかつて宿場町として栄えたまち。
 「おわら風の盆」は毎年9月1日から3日間、この町を舞台に繰り広げられます。
 この祭りは立春から数えて二百十日にあたるこの期間に襲来する風害を治め、五穀豊穣を祈る神事。
 哀愁を帯びた胡弓と三味線が奏でるおわら節に合わせ、男女ともに編笠をかぶり、
 男は黒の法被、女は山繭縮緬の浴衣で石畳と格子戸の町を流す姿には、
 賑やかな盆踊りにはない幻想的な美しさがあります。
  全日本チンドンコンクール

 毎年4月上旬、満開の桜並木に彩られた富山城址公園を中心に開催される富山の春の風物詩。
 富山大空襲から10年経った昭和30年、廃墟から立ち上がる市民に娯楽を提供し、
 再建への意欲を盛り上げようと、「桜まつり」にあわせてチンドン屋の大会を開催したことがはじまり。
 全国から集まったチンドンマンが技を芸を競い合うコンクール、
 松川沿いのパレードなど多彩な企画があり、
 市民参加型の恒例イベントとなっています。
  立山連峰

 富山平野の背後にそびえる標高3000メートル級の山々。
 立山連峰の雄山は中心に劔岳、薬師岳、大日岳、白馬岳、鹿島槍ヶ岳などの山脈を総称した呼び名です。
 日本三大霊峰の一つ、神が宿る山として古くから全国の信徒が訪れました。
 立山信仰を布教するため用いられた立山曼荼羅絵図には、
 立山の山岳景観を中心に地獄や浄土、登拝道などが細密に描かれています。
 観光名所としても知られ、雄大な自然景観が楽しめる立山黒部アルペンルートのほか、
 立山博物館、立山カルデラ砂防博物館などの見学施設も整備されています。
  鱒の寿司

 享保2年、富山藩士の吉村新八が神通川でとれた鱒で押し寿司を作り、
 藩主・前田利興から高い評価を受けたことで、
 時の将軍・徳川吉宗にも献上し、絶賛されたことで富山の名物になりました。
 純白の越中米、薄紅色の鱒、緑のくま笹が醸し出す上質な風味と色彩のハーモニーは
 味、知名度、パッケージデザイン共に3拍子揃った富山の名産品。
 全国の駅弁大会でも人気を誇る「横綱駅弁」として知られています。
 富山市内には多くの専門店があり、味やパッケージにそれぞれの店のこだわりが感じられます。
  売薬

 古木は立山信仰の修験者に起源を持つ越中売薬。
 元禄3年(1690)、
 参勤交代で江戸城にいた富山藩主・前田正甫が腹痛を起した大名に「反魂旦」を差し出し、
 回復させたことで有名になり、
 以来、先用後利(使用が先、利益は後から)という独特な家庭配置薬商法は全国に広まり、
 富山の主要産業として確立されました。
 この莫大な金融資本は水力発電を生み、地場産業であるアルミ、
 科学、パルプなどの産業を発展させる基礎になりました。
 市内には見学可能な薬問屋や売薬資料館などがあり、
 その歴史を紐解くことができます。


インテック本社前

 富岩運河環水公園

 かつて富山市街地と東岩瀬港を結ぶ水上交通として利用されていた富岩運河の船だまりを活用。
 とやま都市MIRAI計画のシンボルゾーンとして1999年に完成した親水公園。
 澄んだ水をたたえるカナルレイクを中心に、遊歩道や芝生スロープ、
 展望台のあるカナルブリッジなどが整備され、市民の憩いの場として親しまれています。
 カナルブリッジのデッキから流れ落ちる滝のカーテンは「水の王国とやま」を象徴するような美しい光景です。


奥田中学校前

  富山県立薬業学校

 配置薬業で地位を築いた富山の売約業者たちが明治26年、
 豊富な薬の知識を持つ人材の育成と薬業の近代化を目的に、
 私費を投じて共立富山薬学校を設立しました。
 この学校は後に県立薬業学校、県立薬業専門学校となり、
 大正2年には全国初の薬剤師を世に送り出しました。
 大正9年に官立薬業専門学校に発展。
 その後は国立富山大学薬学部、国立富山医科薬科大学(現富山大学薬学部)の設立へと受け継がれ、
 富山県の薬学教育を支えています。


下奥井

  下奥井駅旧駅舎(すれ違い)

 富山港線は大正13年、民間が出資した富岩鉄道として開通。
 昭和18年に国鉄富山港線となり、平成18年2月までJRの運営になっていました。
 下奥井駅は昭和2年、貨物扱いの駅として設けられました。
 戦後は人と貨物の輸送量が増大して運行本数も増えたため、
 城川原駅だけでなく、下奥井駅でも「すれ違い」を行っていました。
 今もホームに残る曲がった線路は、かつて相対式の2面だったことの名残り。
 昔は近隣工場への引き込み線もありました。


粟島(大阪屋ショップ前)

  富岩運河

 富山港から神通川右岸を沿うように流れ、富山駅北に達する約5キロの運河。
 昭和5年、都市計画事業として県が着工して昭和9年に完成。
 運河地帯には各種の工業が立地しました。
 中間地点の中島に水位差を越えて運行できるパナマ式閘門があり、
 全国的にも珍しい運河として知られています。
 物資の運搬が鉄道やトラックに変わった戦後は荒廃し、貯木場となっていましたが、
 昭和60年以降MIRAI計画による整備事業が行われ、環水公園とともに甦りました。


越中中島

  中島閘門

 国指定重要文化財

 富岩運河の開削にあわせて昭和9年に完成した運河のシンボル的建造物。
 運河の河口から約3.1キロ上流にあり、
 およそ2.5メートルの水位差を2対の扉で調整するというパナマ運河方式を採用した閘門で、
 当時の最先端の土木技術が投入されました。
 完成から60年以上が経って老朽化が進んだため、
 原形復元を基本方針に改修工事を行い、平成10年に完成。
 同年、昭和の土木建造物として全国で初めて国の重要文化財に指定されました。


城川原

  城川原駅車両基地

 富山港線は大正十三年、富山北部工業地帯と岩瀬浜の発展を目的に営業開始した富岩鉄道が前身。
 戦後の高度成長期には、工場地帯の貨物輸送の大動脈として活躍してきました。
 富山港線は単線のため、城川原駅が「すれ違い駅」になっていました。
 旧型国電車両が使用されていた頃は車両基地も北陸本線が交流電源だったのに対し、
 富山港線は直流電源の車両を使用していたため、
 ここで切り替え整備を行う必要がありました。


犬島新町

  住友運河

 富山港から富山駅北を結ぶ富岩運河には2本の支流があります。
 岩瀬港付近にあるのが岩瀬運河、中央部付近にあるのが住友運河です。
 昭和10年の富岩運河完成と共に形成された臨海工業地帯が発展し、
 エリアが拡大したため、昭和15年、
 富岩運河に連結する新たな水路として岩瀬運河、住友運河が開削されました。
 住友運河は木材運搬基地として活用されました。
 多くの木材が浮かぶ水辺は、子供たちの格好の遊び場になっていたそうです。


蓮町

  旧制富山高等学校・馬場記念公園

 旧制富山高等学校は大正十二年に創設が認可。
 東岩瀬町の仮校舎を経て蓮町(現・馬場記念公園)に校舎が建てられ、
 七年制の高等教育機関として全国に注目を集めました。
 学制改革で昭和二十四年に富山大学へと受け継がれましたが、
 三七〇〇人余の人材が育成されました。
 この学校の生みの親が岩瀬町出身の馬場はる。
 廻船問屋・馬場家に嫁いだはるは夫を亡くして以来、すべての事業を仕切り、
 高等学校の設置を願って延べ一六〇万円余り(現在の金額で約一六〇億円)を県に寄付しました。
 跡地である馬場記念公園は四季を通じて花と緑に囲まれ、
 地元の人の憩いの場となっています。


大広田


  金刀比羅社・一山家別邸「静嘉亭」

 金刀比羅社は元治2年(1865)、岩瀬港の守護神として建立されました。
 境内に立つ燈籠は北前船の常夜燈で、当時は燈台の役目も果たしていたとされています。
 これは現在、神社のそばに立つ富山港展望台のデザインモデルにもなっています。
 また、大広田駅近隣の高台、高畠地区には昭和初期、東岩瀬町名誉町長であり東岩瀬港の復興や
 富岩運河の建設に尽力した米田元吉郎氏が建てた別荘兼ゲストハウス「静嘉亭」がありました。
 当時、その座敷には大きな屏風絵「富山湾八景」が飾られていました。
 そこには世界各国の船が港に出入りする光景など、
 米田氏が東岩瀬港に寄せた夢が描かれていました。


東岩瀬

  岩瀬大町通り

 江戸末期から明治期、北前船寄港地として栄えた岩瀬町の目抜き通り。
 石畳で舗装された岩瀬大町通りはかつて加賀藩の官道であり、
 前田利長が参勤交代で行き来した道でもあります。
 通りには見学可能な廻船問屋・森家をはじめ、馬場家、米田家、畠山家などの旧家のほか、
 歴史ある酒造店や和菓子店、海産物店も並んでいます。
 明治時代に建てられた前庭のある重圧な町屋建築も見られ、
 岩瀬の古き良き時代を彷彿とすることができます。


競輪場前


  富山競輪場

 昭和26年に開設された県内唯一の競輪場。
 収益金の一部は公共施設整備事業などに利用され、市の財政補助に貢献しています。
 開催される「ふるさとダービー」には全国から多くの競輪ファンが訪れ、活況を呈しています。
 近年には四初心者ガイダンスコーナーやおもしろ自転車広場、グルメスポットなどが整備され、
 健全娯楽の一つとして楽しむ家族連れや女性客も増加。
 広い駐車場もフリーマーケットやイベントに活用されています。


岩瀬浜


  北前船

 江戸時代から明治時代にかけて、
 大阪から瀬戸内海、日本海、北海道を往来していた大規模な買積船。
 行きは大阪の酒や木綿、瀬戸内の塩、北陸の縄、米などを北海道に運び、
 帰りは北海道産の昆布や鮭などの海産物を運んでいました。
 岩瀬町はその中継地の一つで、街には多数の廻船問屋が建ち並んでいました。
 富山の売薬産業が発展したのも北前船のおかげ。
 琉球が中国から輸入した薬の原料を薩摩藩を通して仕入れ、
 北前船で富山に運んでいたのです。

  岩瀬曳山祭

 毎年5月17日・18日に行われる岩瀬諏訪神社の祭礼で、
 14基の曳き山車が町内を練り回る勇壮なお祭り。
 曳き山車は富山県内各地に見られる豪華絢爛なものとは趣を異にし、
 頑丈な造りの本体に、和船の帆柱を心柱にした「たてもん」と呼ばれる飾りを取り付けるのが特徴。
 昼はお囃子の演奏と木やりの音頭と共に曳き回しが行われ、
 夜は山車同士が激しくぶつかり合う曳き合いが行われます。
 この激しさから「けんか山車」の呼び名でも親しまれています。




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